小池ルパンシリーズの完結編 「不死身の血族」はルパン三世自身の物語でもあるでしょう。そもそもキャラ個別にスポットをあてて、深く掘り下げる面白さを追求したシリーズだからです。 ではどういうルパンだったでしょうか。
先のblogでも書いたように、この映画のルパンは単独行動が多いです。
印象的なのは、公式サムネイルにあった、お城に行くシーン。ルパンは愛車の助手席に年代物のワインを乗せてコレクションを集めた城に向かう。昭和のルパンなら、ここに次元と五右エ門がいるのが普通、でもこのルパンは一人きりです。これは、墓標初期のルパンと次元はビジネスパートナーという設定を貫きプライベートは別行動という考え方…また何となくこういう部分に原作ルパンを感じました。 ところが、何者かによって(ムオム)その城は爆破されコレクションも跡かたなく燃やされてしまう。するとルパンは怒る顔も見せず、飄々と焼かれた城の残骸を目にしながら歩きます。複製人間でアジトを焼かれた時のルパン達とは大違い。怒らず受け流す姿は最も新しいルパンの顔でしょう。
またムオムの心臓部に着いたルパンは、サリファに価値とは何かを語ります。不死身の身体より、限り ある命のほうが価値があるという話です。個人的は感想としてここは響かなかったな。私が歳をとり過ぎたからでしょう(笑) この映画は評価が分かれると思いますが、血煙や墓標と比べるとルパンの描かれ方が、原作よりのルックスは素晴らしいのにインパクトが弱い部分を感じました。
平成以降、ルパンは自分の哲学を語るようになりましたが、ここの難しさだと思います。複製人間の「夢を盗まれた」に匹敵するような名言が残念ながら不死身のルパンにはなかったというのが、個人的見解。ですが、代わりにルパンはこう〆ました 「所詮はフィクション、楽しむだけさ」
ところでSNSを見ると、前作の二人のルパンの偽ルパンが人気者になっています。偽ルパンは、一貫している主義があり、泥臭く、感情的であり、最後まで夢を見ていた。夢と分かっていてもそこに身を委ねる潔さ。所詮フィクション楽しむだけさというワードが最も似合うのは偽ルパンのような気がします。 何故ルパンにお前は盗むのかと聞いたのは、彼の唯一の人間味(コピーである悲しさ)でしょう、ルパンの言う台詞を繰り返しながら、やることはめちゃくちゃ、でも人間性がチラッと垣間見えるのが魅力的です。
本物のルパンは超然とした振る舞いがありますが、人間味で偽ルパンにやや負けてしまったような気がしましたね…。 尺がもう少しあれば、もっと深い部分まで描かれていたかもしれません。
「所詮はフィクション、楽しむだけさ」という言葉は、ルパン自身のモノローグですが、これもやはり観客に向かって投げられたように感じるのは、うがちすぎた見方でしょうか。
この映画は、これまでの小池シリーズを履修すると、映画の伏線の面白さが分かるのですが、反面墓標血煙峰嘘にあったような、特別観や個性的な解釈が薄いため、物足りなさが残るかも。 逆にこれまでのシリーズを見ていなくても、パニック映画のような面白さがあり、原作よりのルックスやこれまでと違った次元五右エ門銭形が見られるため、スピードやアクションを面白く感じるかもしれません。
感想というのは、どこに基軸を置いているかで違ってくるため、正解はないです。
今回の不死身の血族の場合も、久しぶりのルパンだから楽しもうという意見も、逆に複製のオマージュなのにこれでは整合性の問題で良くない、と評価が分かれると思うけれど、ともかくもたくさんの方に観て欲しい。次の作品に期待するために。
最後のシーンで、ルパンは何故か現れません、こういう演出がハードボイルドなのか分かりませんが、私は脱出したルパンを見たかったです。 「楽しむだけさ」とルパンに言わせたなら、最後楽しくやって欲しかったけれど。(銭形を肩を組みルパン音頭を流せとはいいませんが… )
でもルパンお決まりのエンディング、カリ城的な終わり方でもないのには驚きましたが。どちらかというとシーズン4に似てるかな…でもルパンが顔を見せないのは本当に驚きました。 今まで長々と書きましたが、ここが小池ルパンの帰結かと思うと複雑です、ただあれが美学かと思う人もいるかと思いますね。
小池チームには、もう1作品エンタメ性の強いものをテレスぺ枠で制作して欲しいです。
最後に10年と言う月日は長い制作期間でしたが、こうして劇場で見られて本当に嬉しかったです。 待ちくたびれましたが(笑)本当にとても楽しめました、ありがとう小池ルパン!